おしらせ


●2019年1月18日。今日は真梨子の36歳の誕生日です。月日の経つのはなんと早いのでしょう。処で Yahoo Japan がホーム頁サービスを3月で止めるとのことですので、真梨子のホーム頁を引っ越すことにしました。新しいアドレスはこちらになります。
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●2013年10月2日。真梨子と会えなくなってからまもなく10年になります。見るのは辛いですが、今日はLVC大学のスタッフに録画編集して頂いた悲惨な事故を報じる現地TVのビデオをNews Archive の頁に紹介しました。宜しかったご覧ください。
News Archive

●2011年3月。英語が専門の真崎先生が真梨子の追悼頁とYouTube動画を作って下さいました。世界平和の懸け橋の一つになれかしと天国の真梨子も喜んでくれてることでしょう。宜しかったらご覧ください。
●2010年11月。早いもので、7回忌がやって来ました。気持は晴れるべくもありませんが、真梨子の夢と希望と勇気と熱情を受け止めてくれた、もう一人の”Mariko”さんと知り合うという、嬉しいことがありました。真梨子より5歳若く、元気いっぱいで実に頼もしい女性です。真梨子を知った偶然と娘の生き方に感動されてブログに紹介して下さいました。宜しかったらご覧ください。愛と夢と希望と勇気を分かち合うことが出来たましら幸甚に思います。
もう一人の真梨子さん
真梨子さんの追悼記念の木

●背中におんぶされた真梨子を紹介します。
●2009年8月、真梨子と大の仲良しエリンが訪鹿してくれました。また11月には東京を訪れてくれました。これも真梨子が繋いでくれた縁のひとつ(bridge)だろうと思っています。早いもので、2010年1月18日には、27歳になってる筈です。事故にさえ遭わなければと思うとやりきれません。でも娘の残してくれた貴重な多くの縁はいつまでも大切にしたいと思います。
●今年の夏も、ピッツバーグとLVCにある記念樹のところにお参りして来ました。(2008年9月)
未完ですが、ここを御覧ください。

●留守番電話のメッセージを組み込みました。(2008年3月)

●早いもので、あの衝撃の日(2003年11月21日)から、既に3年も経ってしまいました。この間、皆様から頂きました心の篭った多くの励ましや癒しのお言葉、有難うございました。心より感謝いたします。(2006年11月21日)

●2006年4月、住み慣れた唐湊の住宅から、15階建ての集合住宅10階に転居致しました。しばらくは旧住所の宛先でも届くことになっておりますが、今後の連絡先は以下にお願いします。
〒892−0817鹿児島市小川町19−1−1006 (アーバンポート21 A棟1006)
電話 099−224−9581
市電・水族館口電停の直ぐ近くです。

古川一男の自宅(アーハ゛ンホ゜ート21)の地図
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●このホーム頁は真梨子が自分のパソコンに作りかけたまま残っていたものです。無限の夢と希望を抱きながら作りつつあったものと思います。表紙部分と全体のデザインは殆どそのままです。そのほかの頁は枠組みだけは真梨子のデザインのままにして、想い出の写真などを追加して公開することにしました。真梨子と縁のありました多くの友人や知人の皆様に、元気いっぱいだった真梨子を偲んで頂ければ有難いです。きっと天国の真梨子も喜んでくれることでしょう。
英語で書かれたものが沢山あって読み辛いかもしれません。時間がありましたら、漸次読み易くしていきたいと考えておりますのでご容赦願います。
●以下2008年3月に追加しました。
誰よりも元気一杯だった真梨子は、不運なことに、異国の地で交通事故に巻き込まれ天国に召されてしまいました。まだ成人式を祝ったばかりだったのに。アメリカ時間11月21日12時45分頃でした。仲間と一緒にテコンドー(韓国空手)の地区大会に出かける途中の不運でした。悔しいことに、正確な事故原因は未だに不明なままです。
事故現場は米国ペンシルバニア州カンバーランド郡ミドルセックス町の高速81号線上で76号線と交わる付近でした。下の地図の青いマークは事故現場を示します。
真梨子の遺灰の大部分はピッツバーグの桜の木の下に眠っています。高校留学時、ホームステイ宅の庭に自分で植えた枝垂れ桜です。その木はクルス家の皆さんに暖かく見守られながら、年毎に大きく美しく育っています。
真梨子の思い出と、その魂はいつまでも我々と一緒です。
留学先の大学には真梨子記念奨学金が設立され、大学の図書館の正面には学友達から日本原種の杉の木を追悼記念植樹して貰いました。杉の木は年毎に元気に育っています。



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