田代四郎助博士の紹介頁
東郷中に、こんな凄い先輩がいたとは!!残念ながら、当時、殆どの我々同期生は知らなかった。郷土の誇り田代博士のことを、もっと語り継いでいきましょう。きっと次世代を担う子供達の励みになることでしょう。顕彰碑設立のメンバーも将に同じ思いだったことでしょう。
顕彰碑には次のように刻まれています。
後半の文章に一部不自然なところがありますが原文のまま紹介しました。
田代四郎助博士は、二十世紀の初頭ノーベル賞医学賞の
受賞を惜しくも逸せられた世界的な科学者である。
博士は一八八二年に上東郷村船倉に生まれ、東郷高等小
学校を卒業後県立鹿児島一中に学び、月数回の帰省には必
ず下駄ばきで往復したという。一中を卒業後大志を抱いて
単身渡米し、レストランの皿洗いや新聞配達、クリーニン
グ配達、家庭掃除夫などの労働により学資を得てハイスク
ールに入学。なおこれらの労働を続けながら四年の過程を
二年で特別卒業し、一九〇六年にシカゴ大学理学部入学と
同時に特別奨学金特待生となり、その後も苦学を続けなが
ら専攻の化学に精進し、同大学開学以来の好成績をあげて
一年繰り上げ卒業となり、そのまま特別研究生として大学
院へ進学し生化学の研究に没頭した。一九一七年に世界で
初めて「生命の化学的兆候」の発見に成功して今日の微量
化学の関門を開き、翌一九一八年にシンシナチ大学医学部
の助教授となり、一九二三年に京都大学で医学博士の称号
を受け、一九二四年に日本学士院賞(論文・神経組織の炭
酸発生並びに炭酸の微量測定法研究)を受賞し、一九二五
年にはついにシンシナチ大学医学部の教授となり、野口英
世博士とともに日本人の名を高からしめた。このことは日
本人のアメリカの大学医学部教授の第一号である。世界の
医学界に偉大な業績を残された博士は、終生日本を愛し、
日米間の相互理解や日米医学の交流、渡米医学研究者への
援助など、日本医学の発展や日米文化の交流にも大きく貢
献され、一九六三年にシンシナチ市の自宅で死去された。
時に七九才であった。
「精神一到何事か成らざらん」これは博士が最も愛した座
右の銘である。
昭和五六年四月吉日
田代四郎助博士顕彰委員会
博士の記事をGoogleで検索
博士の著書"Chemical sign of life"が読めます。ただし英文。古川の所にも2冊あります。
原口泉・鹿児島南ロータリークラブ著「かがやけ薩摩」より抜粋(入手困難)
田代四郎助【たしろしろうすけ】とは
写真をクリックすれば拡大します。
南日本新聞社からはこんな本も記念出版されています。入手は困難です。
右3枚は、この本の中の写真ですが、どこだかわかりますか?
田代四郎助博士誕生地(還暦同窓会の時写す)
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